今年は毎日何か書こうと思ったが気付いたら7月になってた

中2の子が自殺した。痛ましい事件である。
わずか十数年で自らの命を終わらせざるをえない本人の絶望を思うと暗澹たる気持ちになる。

「生活記録ノート」にいじめられていた、あるいは自殺を仄めかすないようの記載があり
それについて先生のコメントがそっけないと批判を受けている。
「もう市ぬ場所はきまってるんですけどね」という内容の生徒の記述に対し
「明日からの研修たのしみましょうね」という先生のコメントである。

ただ、私はその批判に違和感を覚える。
むしろこのご時世に、生徒一人一人と「生活記録ノート」の交換を行っていたというほうがすごいのではないか
生徒「ひとりひとり」のノートに「毎日」コメントをつけることが、どれだけ大変か。

実際に他の日にはこの生徒に対して、「どうしたの?」等のコメントをしている。
今回の「明日からの研修たのしみましょうね」というコメントも
「つらいこともひとまず置いておいて、前向きに頑張ろう」という意味で書いているのだと思う。

このコメントをもって批判されるのであれば、全ての先生は今後「生活記録ノート」の交換などできなくなるのではないか。

そもそも悪いのはいじめをした子である。止められなかった責任はあるにしても、先生ではない。
このコメントひとつをもって、悪人のように言うのであれば、その構造こそがまさにいじめをのものではないか。