あの膨大な会議時間も「責任を取る人間」をいかにして消滅させるかを目標になされているのであると考えるとつじつまが合う。

貧乏は悲しいなあ。今日は笠間というところにある芸術の森公園というところにいってきた。芸術の森なので、彫刻があって、へたくそなバンドが演奏している。表題は内田樹のブログからのコピペなんだけど、我が意を得たりと嬉しかった。芸術の森公園で悠が川に落ちて笑った。僕は出向組なのだが、研究所組と工場組と3組あって、意識合わせなのかやたら会議が多い。そしてそんな会議の中で出向組に責任を押し付けようという意図がそこはかとなく見え隠れするんです。別にいいけど。「ナショナリズムでもフェミニズムでも、政治運動である限り、それはいつか退潮期を迎える。そのときに『イズムの弔い』を引き受ける覚悟のある人間がいる政治運動はそのような『オーラ』を前倒しで帯びることになる。」と同じく内田さんがいってるけど(4/27)、弔う覚悟ならあるからね。つーか政治運動じゃないけど。つーか退潮期になると決まったわけじゃなけど。