今日は小学校の終業式。夏休みを迎える。さて、小6の長男は中学受験を考えている。今年になって急に始めたし、まあかなり難しいだろう。目指しているのは来年から新たに新設される公立校だ。彼の目論見としては新設校で囲碁部を立上げたいようだ。同じ囲碁塾に通う子も受験するらしく二人とも通うことになれば、結構強い囲碁部になるかもしれない。そうなれば(部活の立ち上げの苦労も含め)とてもいい経験ができるのではないかと思う。なので、親としては、できればうまくいってほしい。
本人としても結構がんばってはいるようだ。(はたから見ていると、机の前に座ってぼーっとしたり、足を掻いたり、全然集中していないように見えるが。)
やはりそういう具体的な目標があれば、がんばれるのだと思う。がんばれと言われたところで、動機が無ければがんばれない。幸い今はモチベーションを持ってくれているから、後はそれをサポートするだけで、余計なことは言わないでおきたいと思う。
親としてできることは、好奇心と意欲を持てるようにすること。本人の取り組みに、できるかぎりのサポートと環境を与えること。たとえ失敗してもそれをばねにできる安心を与えること。くらいだと思う。

せっかくiPhoneも買ったのでどんどん使っていこう。
まあ、この文章は会社のパソコンで書いているんだけどね。
いじめについてもう少し。
なぜ学校はいじめがあったことを認めたがらないのだろう。
認めると管理責任を問われるのだろうかね。
いじめは全ての学校で起こっていることだってくらい、皆分かっていることなのに。
個別の学校の特別な問題ではなく、社会問題であること、
自殺に至る事例が、いつでもどこでも起こり得るということを共通認識にするべきだろう。
そしていじめが暴力にエスカレートする場合は、犯罪だという認識で、警察が介入し傷害罪、暴行罪で補導する。
もちろん、それが問題を本質的に解決することにはならない。ただ抑制効果があることは間違いない。

今年は毎日何か書こうと思ったが気付いたら7月になってた

中2の子が自殺した。痛ましい事件である。
わずか十数年で自らの命を終わらせざるをえない本人の絶望を思うと暗澹たる気持ちになる。

「生活記録ノート」にいじめられていた、あるいは自殺を仄めかすないようの記載があり
それについて先生のコメントがそっけないと批判を受けている。
「もう市ぬ場所はきまってるんですけどね」という内容の生徒の記述に対し
「明日からの研修たのしみましょうね」という先生のコメントである。

ただ、私はその批判に違和感を覚える。
むしろこのご時世に、生徒一人一人と「生活記録ノート」の交換を行っていたというほうがすごいのではないか
生徒「ひとりひとり」のノートに「毎日」コメントをつけることが、どれだけ大変か。

実際に他の日にはこの生徒に対して、「どうしたの?」等のコメントをしている。
今回の「明日からの研修たのしみましょうね」というコメントも
「つらいこともひとまず置いておいて、前向きに頑張ろう」という意味で書いているのだと思う。

このコメントをもって批判されるのであれば、全ての先生は今後「生活記録ノート」の交換などできなくなるのではないか。

そもそも悪いのはいじめをした子である。止められなかった責任はあるにしても、先生ではない。
このコメントひとつをもって、悪人のように言うのであれば、その構造こそがまさにいじめをのものではないか。

今日も将棋ウォーズで負けていらいらする。
かったうれしさより負けたときの悔しさのほうが何倍も大きいんだから止めたほうがましかもしらん。

最近のニュースはどうもマスメディアの劣化という観点で見えてしまう。
フランスの銃撃事件とか、どう考えても「表現の自由」とかいう問題じゃない。
挑発していて「表現の自由」はないでしょう。
マクドナルドの異物混入も、マクドナルド叩きにしか見えない。
NHKが爆笑問題の政治家ネタを没にしたってのもさもありなんだが
大手新聞が大々的に記事にしてるのをみるとお前が言うかって感じだし。
あー、いらいらする。

テレビで「新春お好み将棋対局」を見たり。10分切れ負けで女流棋士が対局。解説の羽生さんの反応が面白い。
「はぁ〜」とか「ひぇ〜」とか、羽生さんからみたらまずい手ばっかりなんだろうなあってのが伝わってくる。
羽生さんの解説っぷりで↓の動画を思い出した。
https://www.youtube.com/watch?v=x5BdJdOADUc

テスト

6/18セキヤ家訪問
6/19阿見アウトレット
久々に充実した週末でリフレッシュして新たな週を迎えられると思ったら、今日いきなり久留米出張になってもた
着の身着のまま羽田なう
徹夜確定だがきのう夜更かしで既に眠いぞくそぅ